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大阪高等裁判所 昭和60年(う)623号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中七〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人峰島徳太郎、同明賀英樹連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は、要するに、原審は弁護人の請求した被告人の本件犯行時における精神障害の有無、程度についての鑑定申請を却下したが、本件において被告人が遺書をしたため、厭世自殺を決意し、これを一家心中まで拡大することは、精神異常と親和性を持ち、司法精神医学上、精神障害があることを疑わせるに足るものであるのに、原審はこれを解明すべき専門家の鑑定によらないで、被告人の犯行時の精神状態に異常はなかつたと判断したのは、経験則に反し、自由裁量の範囲を逸脱するものであつて、訴訟手続の法令に違反し、その違反は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よつて検討するに、記録によれば、弁護人は、原審第一回公判期日において、本件犯行時における被告人の精神状態を明らかにするため精神鑑定を申請したが、原裁判所は、これについての決定を留保し、検察官請求の書証及び物証の取調べ(第一回及び第三回公判期日)、被告人質問(第二回公判期日)及び弁護人請求の、被告人の性格及びこれと犯行当時の精神状態との関連を立証趣旨とする証人の取調べの終了後(第三回公判期日)において、右弁護人請求の鑑定申請を却下したことが明らかである。

しかして、当事者が、犯行時における被告人の精神状態の異常を主張し、精神鑑定の申請があつた場合には、事柄が精神医学の専門領域にわたるものであるだけに慎重に検討してその必要性を考慮し、いやしくも被告人に精神異常の疑いがあるならば、鑑定を採用し、鑑定の結果をまつて判断すべきであろうが、しかし、本来証拠調の限度は裁判所の自由裁量に委ねられているのであつて、裁判所が事件を審理した結果、被告人の供述、行動、態度その他の資料によつて被告人の精神状態に異常を疑う余地がないと判断するに至つたものである以上、それが経験則に反するものでない限り、鑑定によらないで判断したことをもつて直ちに違法ということはできない。(最高裁昭和二三年一一月一七日大法廷判決刑集二巻一二号一五八八頁参照)。そして、原判決は、「弁護人の主張に対する判断」の項において、被告人の犯行時における責任能力について説示するように、「各証拠を取り調べた結果、被告人がうつ病に親和性のある性格傾向を有していたことは否定しえないが、被告人の本件犯行に至るまでの睡眠障害、食欲不振等の身体的諸症状及び自我感情の沈滞、焦燥感等の精神的諸症状は、うつ病の症状としてのうつ状態というよりは、被害者さち子の対処の術のない連日の執ような無体極まる言動に対する反応とも考えられ、犯意形成の過程は通常人に容易に了解可能であり、また被告人は本件犯行を含め、その前後の行動について詳細な記憶を有して、当時の意識は明せきで、殺害方法の選択、犯行後の措置の考慮等は冷静かつち密であつて、それらの行動は、被告人なりに一貫した合理的、理性的かつ合目的的なものであることからすれば、右反応としての身体的、精神的諸症状から沈滞的気分変調を来し、自殺を企図したことが認められるにしても、その反応の総和の程度は、正常範囲を逸脱する程のものではなかつたことは明らかであり、被告人は犯行当時、行為の是非善悪を判断し、これに基づいて行動する能力を著しく減弱した状況にはなかつたものと認められる。」と判断したものであるところ、当審における事実取調べの結果によれば、後記のとおり、被告人は犯行当時、「軽度の反応性うつ状態」にあつて、是非善悪の弁識能力は有していたものの、本件犯行は、右反応性うつ状態に影響されてある程度衝動性を帯びており、そのため弁識に従つて自己の行為を制御する能力は幾分低下していたことが認められるので、原判決の右説示中、「被害者さち子の言動に対する反応としての、被告人の身体的、精神的諸症状の総和の程度は、正常範囲を逸脱する程のものではなかつた。」とする部分は、これを直ちに肯認することができないのであるが、しかし、後述のとおり、右反応性うつ状態の制御能力への影響は軽度であつたと認められるので、結局、被告人は犯行当時、弁識能力及びこれに従つて行動する能力を著しく減弱した状況にはなく、その責任能力は限定されないとした原判決の結論は正当として是認することができ、右原判決の判断が経験則に反するとは認められないので、原判決には所論のような訴訟手続の法令違反はない。論旨は理由がない。

控訴趣意中事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は弁護人の精神鑑定の申請を却下し、専門家の鑑定によらないで、被告人は本件犯行当時心神耗弱の状況にはなかつたと判断し、刑事責任能力を肯認しているが、本来責任能力の判断に当つては、精神医学の専門家の知識の提供を受けた上で、先ず生物学的要素である被告人の犯行当時における精神状態(精神障害の存否、存在していればその種類、程度)を確定し、これを前提として行為者の当時の心理状態すなわち心理学的要素を認定した後、これに対する法的評価を加えるべきであるのに、原審は、右生物学的要素についての弁護人の鑑定申請を却下したため、被告人の本件犯行に至るまでの身体的、精神的諸症状を単に「諸症状の総和」として把握するにとどまり、右総和の内容が精神障害に当るか、正常なのかを確定せず(なお、原判決は、うつ病の症状としてのうつ状態でないとか、右症状は心因反応ないし、異常体験反応に当るとしているとも窺われる専門的判断をしているが、それが心因反応であつたにしても、精神病と等価症状であるか否かが問題であつて、その判断は専門家の鑑定によるべきである。)、更に、原判決は心理学的要素についても事実誤認をしており、被告人の犯行前の妻さち子の言動に対する対処の方法あるいは、犯行時の「愛すればこそ殺さなければならない。」という心理等を了解可能としているが、右は正常者の心理によつてはとうてい推し測ることができず、また、原判決がいうように、犯行当時、被告人に意識障害がなく、その行動は理性的、合目的的であつたとしても、そのことから直ちに被告人に行動制御能力があつたということはできないのであつて、被告人の供述によれば、犯行当時、被告人には、弁識に従つて自己の行為を制御する能力に欠陥があつたことが窺われるのに、原判決においては生物学的要素の確定がなされていないため、右欠陥を認めるに至らなかつたものであつて、結局、被告人は犯行当時心神耗弱の状況にあつたのに、本件を完全な責任能力に基づく犯行と認定した原判決は審理不尽により事実を誤認したもので、破棄を免れない、というのである。

よつて、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、原判決挙示の証拠によれば、原判決が「犯行に至る経緯」、「罪となるべき事実」において摘示する各事実及び「弁護人の主張に対する判断」の項の三の二において本件殺害の方法、被告人の犯行後の行動として摘示する各事実は、いずれもこれを認めるに十分である。すなわち、

一被告人は、昭和二二年七月五日、いとこに当る丙上さち子(大正一三年一月五日生)と結婚し、同女との間に長女花子、次女月子(昭和二五年六月二五日生)をもうけた。そして、右長女及び次女の両名はいずれも他家に嫁がせたが、次女月子は間もなく精神分裂病に罹患し、昭和五七年二月には離婚して被告人方に戻つて、その後精神病院に入退院を繰り返し、昭和五九年二月ころからは被告人夫婦と同居して通院治療を受けていた。被告人ら夫婦としては右のような月子が悩みの種であつたが、これも宿命と考え、自分達が生きている間は月子の面倒を見続け、自分らの亡き後は、長女にその世話を頼むほかないので、長女の負担にならないよう少しでも多くの財産を残そうと、かねがね被告人夫婦で話し合い、家庭内は特に波乱もなく、つましく暮らしていた。しかし、昭和五九年一一月二六日に至り、被告人が好意から、勤務先の同僚(女性)のズボンの修理を引き受け、これを自宅に持ち帰つたことに端を発し、右女性と被告人との関係を邪推した妻さち子から、被告人は浮気をしているとなじられ、同女のいわれのない嫉妬に立腹した被告人は、当初同女のを二、三回殴るなどしたが、それによつて更に同女が逆上することをおそれてズボンは修理をしないまま返還することにし、ひたすら同女の誤解を解こうと努めたものの、同女は一向にこれを聞き入れず、「ズボンを持つて帰るのはよほどの仲で、肉体関係もある。」ときめつけ、その後も、連日のように、「被告人に裏切られた、生きて行く自信がない、死にたい。」などと執ように被告人を責めていたが、同年一二月一五日ころからは、更にその度を加え、次女月子が病院からもらつていた睡眠剤を服用し、殆んど食事もしないで、被告人が出勤している昼間は眠り、被告人が帰宅後に目を覚まして就寝するまで執ように繰り言を続け、被告人が妻に対し誓約書を書いて寝室に貼りつけるなどしても聞き入れず、更には布団の中に便せん、サインペンなどを持ち込み、午前二時ころまで、「相手の女性が憎い、殺したい」など、恨みを書き連らね、このころさち子は夜間便所に行く際付き添わないと階段から転げ落ちるような状態になり、これに付き添う被告人は一日平均二〜三時間しか眠れず、そのため睡眠不足となつて食欲も減退し、体重も減少するようになり、勤務先では工場から集めに来た品物を渡し間違い、出来上つた品物の配達先を間違うなどのミスを重ねるようになつた。また、妻さち子は、同月一八日には会社の同僚に対し、あるいは上司の自宅に「会社では女性の私物のズボンを持ち帰らせるような仕事をさせるのか。」などと電話をし、翌一九日には被告人がズボンを預つた相手方女性に、「今後は被告人が修理すると言つても預けないで欲しい。」などと電話をし、被告人が妻さち子に病院で受診するよう何度か勧めても同女はこれを拒否するといつた状況であつた。そこで、被告人としては、これまでにも妻の兄弟らには月子のことで心配をかけており、そのうえ更に妻のことで相談することもできず、昭和五七年以来月子の精神病による絶え間のない気苦労も、これまでは良き協力者であつた妻と二人で耐えて来たのに、妻がこのような状態になれば、被告人一人で月子のことのみならず妻のことまで二人分の心配しなければならず、そのうち治るだろうと思つていた妻の様子はその後かえつて悪化して来ていることなどを思い悩んだ末、これを解決する方法としては一家心中しかないと考えるに至つた。

そして、月子はこれまでに楽しい思いをしたことも少なく、一生病気を背負つて行かねばならないことをよく自覚しており、自分が死ぬ気で頼めば納得してくれるであろうが、妻にその話をしても聞いてくれるとは思われなかつたので、最初に妻、続いて月子を自分が殺害したうえ、最後に首吊り自殺することとし、右妻らを殺害する方法としては刃物で血を流すような方法は好ましくなく、またガスを使用すれば爆発して近隣に迷惑をかけるおそれがあるので、首を絞めることにし、それも紐などを使用すれば、うつ血してひどい顔になるであろうから、両手で徐々に時間をかけて窒息死させようと考えた。そして、自分が最後に首を吊る前に、せめて長女にだけは連絡しなければならないだろうが、あまり遅い時刻では、自分達の死後に集つて来る親族に迷惑をかけることになるので、犯行時刻は翌二〇日の午後七時ころにすることにした。

二被告人は、翌二〇日も通常どおり午前六時一〇分ころ会社に出勤したが、仕事中も心中のことで頭が一杯で、妻が少しでも良くなつておれば中止しようと考え、これを祈りながら、同日午後五時一〇分ころ帰宅した。そして、月子に妻の様子を尋ねたところ、朝食も昼食も食べないで眠つていると聞き、着替えのため二階に行つたところ、妻は目を覚し、「会社に行つて相手の女性に会い、決着をつけてやる。絶対に会社をやめさせてやる。」などと繰り返したので、もはや予定どおり実行するほかはないと考えて階下に降り、月子に、一家心中しようと思つている旨を打ち明けたところ、同女は別に驚きもせず、「それがいい。」と賛成したので、被告人は育ての親である叔父、会社の工場長、長女宛に遺書三通を書いた。そのころ、妻が二階から降りて食事を始めたので、被告人は二階に上つて一家心中の用意にかかり、遺書を洗濯ずみの衣類の横に置き、和ダンスから自分が首を吊るための腰紐三本を出してこれを鴨居にかけ、これにぶら下がつてその強度を確かめるなどした後、階下に降りたところ、月子から、さち子は「久し振りに御飯を一杯半食べた。」と聞かされて実行の決意が鈍り、これを中止することも考えていた。しかし、さち子は食事後、再び被告人に向つて、両手で畳をたたきながら「ズボンを返すとき何故謝つたんや。相手の女性を徹底的に追求してやる。肉体関係があつたかどうか確かめる。」などとわめき出し、被告人はこれを約一〇分ないし一五分黙つて聞いていたものの、さち子の顔の相も変つており、時計を見ると午後七時であつたため、もはや実行するしかないと決断し、横に座つている同女の両肩を両手で押して仰向けに倒し、その胸付近に馬乗りとなつたうえ、両手に体重をかけるようにして同女の首を圧迫して絞めたところ、同女は両足をばたつかせ、両手で被告人の顔を引つかくなどして抵抗したが、この様子を見て事態を察知した月子が、被告人と背中合せにさち子の腹部に馬乗りとなつて同女の足を押さえ、被告人はそのまま約一〇分間さち子の首を絞めていたところ、同女は動かなくなつた。しかし、更に約五分間そのままの状態で絞め続けていたものの、両手が疲れ、もはや力が入らなくなつたが、さち子が息を吹き返すといけないと考え月子に交代を依頼し、その後引続いて月子が約一〇分間さち子の首を絞め、その結果同女を頸部圧迫により窒息死させ殺害した。

三その後、被告人は煙草を吸つて気分を落ちつけ、月子からは、「私どうするの。」と聞かれたが、妻の首を絞めている間に同女の顔の色や表情が変り、口から泡を出したりしたことで恐ろしくなり、また、もはや体力もなくなつていたため、月子には、「もうやめる。」旨答えた。なお、月子がさち子の首を絞めるのを止めて間もなく被告人が時計を見たところ、午後七時三〇分ころであつた。その後、さち子の身体にはタオルケットを、その顔にはタオルをかけた後、被告人は月子に指示して、長女に電話をかけさせ、被告人自身も、工場長及び妻の実弟に電話をし、妻を殺害した旨を連絡した。そして、同日午後九時ころ、相前後して駆けつけて来た長女花子及び妻の実弟に右に至つた事情を説明して妻の実弟には謝罪をし、長女には現金約一五〇万円と共に、預金通帳、株券などが在中の手提げ式書類入れを渡し、右親族らに後事を託して、警察に通報してもらつた。

以上の各事実が認められる。

しかして、弁護人は、右犯行当時、被告人には精神障害があり、心神耗弱の状況にあつたというのであるが、右証拠によれば、被告人は、几帳面で仕事熱心、責任感が強く、他人との円満関係を大切にするといつたうつ病と親和性のある性格傾向を有していたことが認められるので、当時被告人が置かれていた右状況からすれば、うつ病ないしは「うつ状態」の発病の可能性も否定できず、ことにうつ病の場合、発病までは社会に極めて良く適応していることが多く、また、発病後の犯行であつても、その動機は了解可能に見え、感情移入も容易にできることが多いといわれており、発病を看過するおそれもあることを考慮し、当審においては、被告人の犯行当時の精神状態について、弁護人の鑑定申請を採用し、鑑定を施行したところ、鑑定人濱義雄は、「(一)被告人の性格は『弱点ある、うつ・強張性性格』で、重圧を柔軟・弾力的に受け止める能力に欠け、大きな重圧がかかつて来た場合、その状況反応的に『うつ状態』なる精神病を発するおそれがある。(二)右のような性格的弱点があつたところに、昭和五九年一一月二六日ころ、被告人が女性のズボンを修理のため自宅に持ち帰つたことを誘因として、妻さち子が、嫉妬妄想念慮を主徴とする軽度そう―うつ病を発病し、その病状が同年一二月一五日睡眠剤乱用癖を加え、著しい乱雑状を帯びるに至つた状況下において、被告人も、『軽度な、反応性うつ状態』を発病するに至つた。その病状は、平常の生活態度を維持しながら、その内面では『うつ性病的苦痛(悲観妄想念慮・心気妄想念慮を含む)』を主とする軽度精神病性の病状で、気分易変性の病状浮動状を呈しつつ、軽度な身体症状(睡眠障害、食欲不振、衰弱)を伴いながら増悪経過し、同月二〇日その病状の極頂において、著しい衝動行為として犯行を表わしたが、犯行後の局面転換と共に急速に緩解(治癒)した。病状は犯行となつた高度衝動行為以外は軽度であり、その経過も一過性良性のものである。(三)犯行に至る心理としては、当時妻さち子の『嫉妬妄想性念慮、夫に対するいやがらせ様の粗暴言』を主徴とする『軽度そう―うつ病』の病状は、更に睡眠剤乱用を加えることにより、異常な乱雑性を強めており、そのため被告人は一日数時間しか熟睡できない『睡眠障害』や、『食欲減退』、『体重減少(身体衰弱)』は事実であつたにしても、妻の病状の程度は家人が困惑しながらも、一時的苦境としてこれに耐え、乗り越えうる様な軽度なものであつたのに、被告人はこれを通常の柔軟な態度で受け止めることができないで、『薬を飲んでおかしくなり治りそうにない。』などと異常に深刻に感じ(悲観妄想)内部に苦痛を引きつらせ、また自己の身体症状についてもそれを誇張して『極度の身体衰弱で、もはや勤務に耐えられそうにない。』ように過度に深刻に感じ(心気妄想)、これが更に『このために生活に行きづまつて生きて行けそうにない。』との悲観妄想に進展し、しかも内心ではこのような妄想をひきつらせながら、通常の勤労生活を維持し、健康な態度を無理矢理にこわばらせ続けていかなければならない苦痛を重ねており、このような病的苦痛の苦しまぎれに『妻を殺して一家心中しよう。それしか解決法がない。』との拡大性を帯びる妻殺害の意志を発するに至つた。なお、次女月子も数年来重度慢性の精神病(精神分裂病、但し鑑定人によれば『異型のそう―うつ病』あるいは『非定型精神病』)に罹患しており、同女が被告人夫婦には苦悩の種であつたのは当然だが、これは長年月にわたつて担つて来たもので、今更被告人の一家心中意の動因としては、弱い遠因位に考えて可なるものであろう。(四)実行心理としては、右のとおり、病的苦悩に迫られて『したくはないがせざるを得ない』形で決意したものの、実行力を伴わず、『せねばならぬ、したい。』との意志だけを突つ立てこわばらせた意志、強張性のもので、予め殺害方法や実行時刻まで冷静に計画を回らせたといつても、自らその実行を恐れ、不安を持ちながらの意志思考に過ぎなかつた。犯行当日、勤務中は、妻の病状が少しでも改善されることを切望し、退社して帰宅途中では『実行するのは恐しい、実行したくない、しかし病状がよくならないなら決行せざるを得ないだろう。』との病状の改善の切望の交錯した異常な意志性不安状態にとらわれていたが、帰宅し、次女月子から妻は朝から食事をとつてないと聞き、一家心中意志が立ち直り、次いで妻から『相手の女性は絶対会社をやめさせる』などのいやがらせ様雑言を聞き、意志は益々固まつたが、妻が食事をとり始めて殺害意志は一時緩解したものの、食後、妻は畳をたたきながら、『ズボンを相手に返した時、何故謝つたのか、相手のことは徹底的に追求してやる。』などとこれまでにない激しさで、一〇分から一五分にもわたつて暴言を続け、被告人はこれに対し抗弁もせず、『今に止めるだろう。』と淡い期待感にすがりながら耐え、殺害意志を立てずにがん張つていたが、これが持ちこたえられなくなり、瞬間に切望を切り捨てて病的な苦悩の深みに自らを投げ棄てる時に、反動的に強烈な殺害意志が突き立ち、それまでの浮動性を帯び実行力を引つ張り上げられなかつた意志を、激しい勢いで引つ張り上げることができ、衝動的に犯行に至つたものである。(五)被告人の弁別能力及び制御能力についていうと、殺害意志そのものは、生活意志が、妻の病状にさらされ、心気性・悲観性妄想を含む意志強張性病的苦痛状態からの苦しまぎれの実行意志に他ならず、相当病的なものといわざるを得ないので、判断力には多少の制約はあつたが、概ね通常なものに裏打ちされている。しかしながら、責任能力にかかわるその実行心理は、『著しい衝動性』を帯びたもので、『理非弁別力に従つて行動する能力の著しく減退し、限定責任能力妥当』と解される。なお、衝動性の程度は、意志強張性の程度、意欲衰弱度、従つて衝動性の強度、意識障害の随伴の有無、その程度、従つて記憶障害の程度、基盤となる精神状態の異常性等の要件を検討する以外にないが、被告人の場合は右諸要件を総合勘考し、特に基盤となつている『軽度うつ状態』の病状を重視し、右のとおり、高度の衝動性を帯びていたと判断した、」との趣旨の鑑定をした。

そして、右鑑定書の内容及び右鑑定人の当審証人としての供述(以下鑑定書等という。)のほか、当審において取調べた医師執行経世作成の「精神衛生診断書」(本件起訴前検察官の依頼により作成されたもの)においても、現症として「態度服装に異常は認めず、問診に対する応答内容等検討するに幻覚並びに妄想等の病的体験は認めず、犯行時には反応的に抑うつ気分も存在していたことが認められる、現在は特に異常は認めない。」診断及び説明として「うつ状態、犯行時の理非弁別の能力はあるが、十分でない。」との記載があること等を併せ考えると、被告人は本件犯行当時「反応性うつ状態」にあつたと認めるのが相当である。

しかしながら、右鑑定書等を、関係各証拠、ことに、被告人の供述と対比して仔細に検討すると、右鑑定書等のうち、鑑定人が「反応性うつ状態」の主症状とする「悲観・心気妄想」について説く部分及び本件実行心理は、高度の衝動性を帯びていたとする部分は、その判断の前提とする事実の点において、必ずしも肯認できないところがあり、これらを直ちに採用することはできない。すなわち、鑑定人は、本件犯行当時被告人には、うつ病の外形的な特徴は全く現われておらず、被告人の性格と被告人が言葉で訴えている悩みから、妄想あるいは表に現われない内心の苦悩を推定し、軽度の心因性うつ状態と判断したというのであつて、鑑定人によれば前記のとおり、「さち子の病状は異常な乱雑性を強めていたとはいえ、その程度は家人が困惑しながらも一時的苦境としてこれに耐え、乗り越えうる如き軽度のもの、聞き流し的に耐えていればやがて一過する体のもの、であるのに、被告人は、治りそうにない、と異常に深刻に感じ(悲観妄想)、睡眠も何とか必要な生理なみの量を盗みとり看護と両立させながら職業生活にも著しい支障を来さずに苦闘努力によつて乗り切れる程度の苦境であつたのに、この程度の苦境によつて心身変調に陥り、これを苦痛としてひきつらせるしかなかつたのは病的現実態度の故であり、また、一日数時間しか熟睡できぬ睡眠障害等を誇張して、極度の身体衰弱でもはや勤務に耐えられそうにない、と異常に深刻に感じており(心気妄想)、更にさち子が会社の上司らに電話をするなどした妄想性行動は、相手に多少の奇異感を与えても、さしたる迷惑行為というにも当らず、被告人の職場生活の安危(退職が問題となるような)に関わらない程度のものであつたのに、被告人はこれから、生活に行きづまつて生きて行けそうにない、との悲観妄想に進展した。」というのであるが、しかし、先ず「さち子の病気が治りそうにない。」との悲観妄想の点についてみると、確かに被告人は月子に一家心中の意図を打ち明ける際、「お母ちやん薬飲んでおかしくなり、治りそうにない。」と言つたことは認められるが、被告人のその前後の供述等と併せ検討すると、右の「治りそうにない。」との趣旨は、それが「不治」のものと考えたというのではなく、そのうち良くなるだろうと思つていたのに、良くならないのみか、かえつて悪くなつた、そして睡眠薬をやめさせれば良くなるかも知れないが、睡眠薬の影響がなくなるのを待つ余裕はなく、自分自身がふらふらになつて切羽詰つていた(原審第三回公判期日)、というのであつて、鑑定人も、「さち子を実際に医師に受診させ、医療ペースに乗せることはさち子の病状の本質から至難であるのみならず、強制的に受診させる如き処置に出れば反つて病状を激しく刺激し憎悪させたことは必定と考える。」(鑑定書六九頁)というのであるから、同女を何度も医師に受診させようとしたが、これを果さなかつた被告人が、同女への対応に疲れたというのは無理からぬところがあり、被告人が犯行を決意した時点では、睡眠薬の影響により、さち子の病状が悪化していたことは事実であることからすれば、右の点を悲観「妄想」とするのは疑問であり、また、「心気妄想」の点についても、被告人の供述によれば、被告人は妻から二五日間にわたつて連日のように執ように責め続けられ、ことに犯行の直前ころさち子は床の中で枕元にスタンドをつけ、午前二時ころまで書き物をし、また、そのころ同女が夜間便所に行く際には付き添いを要する状態にあつたため、被告人は、午前五時半の起床時間までに、二〜三時間しか眠れず、そのため睡眠不足となり、食欲も不振で、体重も三キロ減少したというのであつて鑑定人のいうように、一日「数時間の熟睡しかできなかつた」(鑑定書一五三頁)のではなく、また、右睡眠不足は妻の言動等によつて、現実に眠ることができなかつたことによるもので、一概に、苦境に置かれたことによる心身変調とはいえず、更に「勤務に耐えられそうにない。」との点も、単に身体が衰弱したことのみではなく、右睡眠不足のため、勤務先において配達先を間違うなどのミスを重ねるに至つたことのほか、さち子が会社の上司の自宅あるいは会社の同僚及び相手とされる女性宛に電話したことは、鑑定人がいうように、相手に対してさしたる迷惑行為にも当らず、職場生活の安危にかかわるものではないにしても、被告人としては、これらの人に対して恥しい思いで一杯であつた、というのであつて、これらの点を併せて、被告人が仕事先での自分の立場を思い悩むのは、むしろ自然なところもあり、これら被告人の苦悩あるいは悲観には、一応、それなりの根拠があつて、一概に誇張、妄想とはいえないところがあり、むしろ、鑑定人は被告人の置かれていた現実の状況を過小評価し、その一方で妄想を過大視しているきらいがないではない。また、鑑定人は被告人の本件犯行の心理的動因は、妻さち子の病状による心労・心身疲労が主たるもので、次女月子が重度、慢性の精神病であることは、被告人夫婦の苦悩の種であつたには違いないとしても、これは長年月にわたつて担つて来たもので、今更被告人の一家心中の動因としては弱い遠因位に考えて可なるものである(鑑定書一四九頁)としているのであるが、被告人の司法警察員に対する昭和五九年一二月二七日付供述調書によれば、「昭和五七年から月子の精神病で気苦労が絶えず、今回は月子が少し良くなりつつあつたが、いつ再発するかわからず、良き協力者の妻までがノイローゼになり、二人で一人のことを心配すれば済んだのだが、最近では一人で二人の心配をしなければならず、心身共に疲れ果て、救われるには一家心中しかないと考えるに至つた。」というのであつて、一家心中の決意には、次女月子の存在もかなりの要因となつていたと解され、従つて、必ずしも妻の病状についての心労等のみが主たる動因となつて本件犯行の決意をしたとは言いきれないところがあること等からすると、鑑定人がその判断の前提とする事実には肯認できないところがあり、被告人は本件犯行当時鑑定人の指摘するとおり「軽度な心因反応性うつ状態」にあつたとしても、その程度及びこれが犯意形成及び実行行為に及ぼした程度は、鑑定人が述べるより更に軽度であり、従つて「うつ状態」の病状を重視して、被告人の実行心理が「著しい衝動性」を帯びていたとする鑑定人の意見も、直ちに採用することはできない。のみならず、鑑定人によれば、「被告人を犯行に踏み切らせるに至つた病的衝動は、妻絞殺実行中に体力の消尽と共に一過し去つた」(鑑定書一七二頁)というのであるが、さきに認定したとおり、被告人は前後約一五分間にわたつてさち子の首を締め続けたため、両手が棒のようになり、力が入らないようになつて後も、同女が息を吹きかえさないように、月子に交代を依頼して、同女にさち子の首を絞め続けさせているのであつて、鑑定人によれば、病的衝動は既に消失したか、あるいは、少なくとも弱まつたとすべき時点においても、なお被告人は殺意を持続していることからすれば、右行為全体から見て被告人が主体的に意思決定をする余地は十分にあり、衝動による制御能力の低下は、さほど著しかつたとは認められない。また、被告人は、原判決が「弁護人の主張に対する判断」項に説示するとおり、犯行当時意識は清明で、前夜の行動についても詳細な記憶を有し、それらの行動は理性的かつ合目的的であり、ことに前記認定のとおり、被告人は、妻の雑言を聞いていた際時計を見ると、前日犯行時刻として決めていた午後七時であつたので、犯行に踏み切つたと述べていること及び被告人は実行行為中も妻の顔色、表情及び口から泡を出していたことなどを細かく観察し、記憶していることなどからすれば、かなり冷静なところがあり、この点からも衝動性がさほど強かつたとは考えられず、その限度で鑑定人の意見は採用することができない。

所論は、被告人の「愛すればこそ殺さなければならない」という心理及び本件犯行前親族に相談できず、またさち子を医師に受診させることもできなかつた被告人の対処方法は正常者から見れば到底了解することはできず、このことは本件犯行直後に被告人から、妻を殺害した旨知らされた会社の上司、親族らは、いずれも「予想がつかない」、「信じられない」と述べていることからも明らかであるのに、これを了解可能とした原判決は事実を誤認している、というのであるが、確かに被告人が前記認定のような経緯で一家心中の決意をしたのは浅薄、短慮であつたといえないではなく、この点では病的なものの影響も全くは否定できないのであるが、しかし、弁護人の指摘する右の点についてみると、前記鑑定書等によれば、「家族が皆死んで仕合わせになろう」というのは通常心理に親しい相互混合心理で、そのこと自体は病的といわない、というのであり、またさち子を病院に受診させえなかつた点については、前記のとおり、同鑑定書によれば同女の病状の本質から医療ペースに乗せることは困難であつた、というのであつて、被告人が親族に相談できなかつた点についても、被告人の供述によれば、かねがね親族には月子の病気のことで心配をかけていたので、今回はその世話にならないで内々で解決しようと思つたというのであつて、被告人の性格からすれば右は十分にありうることであり、そして、了解可能か否かは、被告人の置かれた立場に立つて考えるべきことで、事情も十分に知らない第三者が予想しなかつたからといつて了解可能でないというべきではないと考えられるから、右所論は採用することができない。

以上の事実関係からすると、被告人は、本件犯行当時、軽度の反応性うつ状況にあつたものの、これがために理非弁識能力及びこれに従つて行動する能力が著しく減退した状況でもなかつたこと、すなわち、心神耗弱の状況ではなかつたことが認められる。

そうすると、本件犯行当時被告人が軽度の反応性うつ状況にあつたことを認定しなかつた原判決は、この事実を看過したものであり、その限度では事実を誤認したものというほかはないが、右うつ状態の理非弁識能力及びこれに従つて行動する能力への影響は右のとおりさほど著しいものではなく、被告人が本件犯行当時心身耗弱の状況にはなかつたとする原判決の結論は、正当として是認することができ、しかも、右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいい難いから、原判決を破棄すべき限りではない。

その他、記録を検討しても、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな審理不尽による事実誤認のかどはないから、論旨は理由がない。

なお、弁護人は、当審事実取調後の弁論において、原裁判所は、本件と同種のうつ状態下で自殺(未遂)の道連れに長女を殺害した事案(大阪地裁昭和五九年(わ)第二九二四号、昭和六〇年七月二九日判決)につき、検察官の懲役七年の求刑に対し、懲役三年、執行猶予四年を言渡したが、これと対比して同一裁判所の本件の量刑は不統一であつて不当であるから、本件は破棄されるべきで、職権の発動を求めるというので、所論にかんがみ、職権をもつて原判決の量刑の当否について判断するに、本件の罪質、態様及び結果の重大性等からすれば、被告人の刑責は軽視することはできないのであるが、本件はもともと被害者のいわれのない邪推(鑑定人によればそう―うつ病に基因するもの)に端を発したもので、これにより被告人も反応性うつ状態となり、心神耗弱の程度には至らないまでも、これが本件犯行に何らかの影響を与えていることは否定し難いところであり、一家心中を決意するに至るまでの被告人の苦悩、心情等には、同情の余地があること、被告人は本件犯行直後から悔悟し、自首していること、妻さち子の親族らはいずれも被告人を宥恕し、寛大な処分を嘆願していること、次女月子は慢性で重い精神病に罹患して周期的に発病を繰り返し、単独での社会生活は期待できず、妻なき後は、被告人を措いてはその監護をするものもいないこと等の被告人にとつて酌むべき諸事情を考慮すると、本件は、同一裁判所が刑の執行猶予の判決を言い渡した所論の事件とは事案ことに量刑の事情を異にし、刑の執行を猶予するのを相当な事案ではないけれども、被告人を懲役三年六月に処した原判決の量刑は重きに過ぎるものと考えられるから、破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、更に判決することとし、原判決の認定した事実に原判決の挙示する各法条のほか、有期懲役刑の酌量減軽につき刑法七一条、六八条三号、当審における訴訟費用につき刑訴法一八一条一項但書をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官尾鼻輝次 裁判官木村幸男 裁判官近藤道夫)

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